前略ごめんください
寺田寅彦をご存知でしょうか。寺田寅彦は物理学者であり、随筆家であり、俳人であり、という具合に、科学者であると同時に文才にも恵まれ、数々の書物を著した人物です。また夏目漱石が熊本で高校教師をしていた時代に実際に漱石の生徒だった人物で、漱石がその文才を見出したことでも有名です。
「地震は忘れた頃にやってくる」という有名な言葉がありますが、この言葉は寺田寅彦が言った言葉です。
この寺田寅彦の最も有名な随筆集に『柿の種』があります。私はこの『柿の種』が大好きで、たまにパラパラと読むのですが、「短章その一」の冒頭に次のような文章があります。(寺田寅彦の著作物は、すでに著作権が消滅していますので、ここに記してみたいと思います)
日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている。このガラスは、初めから曇っていることもある。
大正5年5月、渋柿
生活の世界のちりによごれて曇っていることもある。
二つの世界の間の通路としては、通例、ただ小さな狭い穴が一つ明いているだけである。
しかし、始終ふたつの世界に出入りしていると、この穴はだんだん大きくなる。
しかしまた、この穴は、しばらく出入りしないでいると、自然にだんだん狭くなって来る。
ある人は、初めからこの穴の存在を知らないか、また知っていても別にそれを捜そうともしない。
それは、ガラスが曇っていて、反対の側が見えないためか、あるいは……あまりに忙しいために。
穴を見つけても通れない人もある。
それは、あまりかだらが肥り過ぎているために……。
しかし、そんな人でも、病気をしたり、貧乏したりしてやせたために、通り抜けられるようになることはある。
まれに、きわめてまれに、天の焔を取って来てこの境界のガラス板をすっかり熔かしてしまう人がある。
この文章の最後の一節はいわゆる天性の詩人のことを言っているのだと思いますが、面白いのは、人は誰でもこの二つの世界を行ったり来たりできるということです(感性が鈍っていて穴を通れない人もいるけれど)。
最初は小さかった穴が、くり返し通り抜けていると、だんだんと大きくなってくる。これは、詩歌に限らず、全てにおいて通じるものではないかと思います(人間関係でさえも)。
小さな穴を発見してそれに興味を持ったなら、まずはちょっと通り抜けてみる。新しい世界は、怖くてなかなか一歩が踏み出せませんが、引き返してもいいことにして(笑)、もっと気軽に覗いてみようかなと思っています。
ただし、深淵をのぞく時は、深淵に飲み込まれたり、取り込まれないようにしないといけません(笑)
もうすぐ2月になりますが、そろそろ花粉も気になってくる頃ですね。風邪だけでなく、花粉症(花粉症の原因が本当に花粉なのかという問いについては置いておいて)などもありますので、諸々ご自愛くださいませ。
かしこ