前略ごめんください
ギリシア神話に登場するピュトンは、ガイア(原初神であり地母神)の子どもで大蛇の姿をしています(絵画によっては脚のない竜のような姿)。
この大蛇ピュトンは、神託を受けるための神殿を守る番人でしたが、オリュンポス十二神の一人であるアポロン(太陽神)に退治され、この神殿はアポロン神殿となりました。
日本では、古代より蛇信仰(龍蛇神信仰)があったと言われており、日本における国譲り神話も、蛇信仰から太陽信仰への変化と見ることもできます。
蛇信仰は世界各地にあり、インドの思想では、生命(性)エネルギーであるクンダリーニを蛇にたとえ、このクンダリーニが覚醒することで様々な能力が開花したり宇宙と繋がると言われています。
蛇信仰とは単に豊穣などを願うこと以外にも「生命エネルギーによる創造」といったより壮大で真理に近いことを示唆しているのかもしれません。
一方、聖書の「蛇」は人間に知恵を与え、そそのかした存在として描かれており、悪の象徴として登場しています。
聖書における蛇は、サタンと結びつけられることが多いようですが、イエスは聖書の中で「蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい」と言っています。
つまり聖書の蛇は、悪の象徴であると同時に賢さの象徴でもあるわけです。
しかしながら、世界各地に見られる蛇信仰が「生命(性)エネルギーによる創造」であると考えると、聖書では性的堕落の面を潔癖なほどに強調しているように感じます。
性的なブロックによって恋愛がうまく行かないことがありますが、これは世間に蔓延る「性」に関するショッキングでネガティブなものの影響だと思います。
例えば、欲望を刺激するためだけの広告、愛のない快楽主義、性暴力など、これらは蛇に象徴される生命エネルギーによる負の面がもたらすものです。
ですが、本来生命エネルギーそのものに善悪はないのだと思います。この場合の善悪は、愛の有無、乱暴する目的、快楽のため、といった人間側の意識の違いによって生じるものだと言えます。
聖書が蛇のネガティブな面を強調していたとしても、イエスが「蛇のように賢くあれ」と言っていることから、聖書においても必ずしも蛇が絶対的な悪だと言っているわけではないのかもしれません。
もしかしたら、善悪とは表裏一体であり、行為や物事は人間側のあり方によって善にも悪にもなるということが示されているとも言えます。
私はどの宗教にも属していないため、時々すべての宗教や神話はつながっているのではないかと思ってしまう時があります。この蛇に関しても、神話からは蛇信仰から太陽信仰への変化が伺え、聖書では蛇を悪としたい、といったことが伺えます。
このことから、蛇をシンボルとする「生命エネルギー」への崇拝とそれを隠そうとする流れ、この二つがあったということは否めません。
ですがこの二つの流れは、生命エネルギーを扱う私たち人間が「愛」「暴力」「快楽」など、どのような意識のもとにこれを扱うのか、ということを問うためのものなのかもしれませんね。
かしこ