ペイジの剣

前略ごめんください

2025/09/23

時々、他人をいじったりディスったりする人を見かけますが、それをしている本人は仲良しコミュニケーションの一環として悪意なくおこなっている人もいると思います。


この「いじり・ディスり」のコミュニケーションは、学生の頃であればいじめっ子がしている印象がありますが、大人になってもそのようなコミュニケーションをしている人がいるのは、どういう理由があるのか考えてみました。


恐らくそういう人たちは、人間関係を構築する際に、いじられたりディスられたりすることを受け入れることで仲間に入れてもらえたという経験を持っているのではないでしょうか。


だから「いじり・ディスり」を仲良しの証、あるいは仲良くなるための通過儀礼として捉えている節があり、少し屈折した構築方法を学んでしまったのだと推察できます。こうした経験は女性よりも男性に多いかもしれませんね。


お笑い番組ではそのような笑いの取り方をすることがありますが、そうしたお笑い文化に接していたとしても、ほとんどの人たちが選択しないコミュニケーション方法なので、やはり経験から染み付いてしまっていることなのだと思います。


いじりやディスりをする側は面白いこと、楽しいこととして捉えていたとしても、また相手がそれを受け入れていたとしても、心の中では「やめてほしい」と思っている場合もあるかもしれません。


仲良しだからいじっていい、ディスっていいというのは、その人の経験に基づく思い込みであり、万人に共通するものではありません。


たとえば、私は仲良しの相手をいじったりディスったりすることはありませんし、女性同士のいじりは男性のそれとは異なり、ほとんどが言い間違えを優しく突っ込んだりするなど、とても可愛らしいものです。


もし、相手が嫌だと思っていることに気づいていない場合、自分が大丈夫だと思うことは相手も大丈夫だろうと、自分の思いを相手に投影しているだけに過ぎません。


ですから、こうした「いじり・ディスり」を仲良しのコミュニケーションとして選択している人は、今一度、相手の気持ちを考えてみてください。


程度がキツければ「いじめ」「モラハラ」「パワハラ」と捉えられる場合もありますし、そうでなくても、細やかな配慮や価値観の擦り合わせが人間関係における信頼の土台になっていくと思います。


かしこ